
中国にご同行いただいた播州そろばんの職人、高山辰則さん。
彼が作品に刻む「龍雲(りゅううん)」という二文字。
これが、高山辰則さんの雅号です。
画家や書家、陶芸家などが本名とは別に名乗る雅号はよく知られていますが、そろばんの世界でも、職人が自らの作品に雅号を刻む文化があります。
では、そもそも「雅号」とは何なのでしょうか。そして高山さんは、なぜ「龍雲」という名前を選んだのでしょうか。
職人の「もう一つの名前」―雅号
雅号とは、芸術家や文人、職人などが、本名とは別に自らの活動の中で用いる名前です。
日本では古くから、書、絵画、俳諧、茶道、工芸などさまざまな世界で雅号が使われてきました。
単なるニックネームではありません。
そこには、その人が大切にする美意識や生き方、師匠から受け継いだもの、そして「どのような仕事を残していきたいのか」という思いが込められることがあります。
そろばん職人の世界でも同じです。
一丁のそろばんを作り上げた職人が自らの雅号を刻む。それは、誰がこのそろばんを作ったのかを示す「職人の署名」であると同時に、自分の仕事に責任を持つ証でもあります。
高山辰則さんの雅号「龍雲」
では、高山辰則さんは、なぜ「龍雲」という雅号を選んだのでしょうか。
その由来は、高山さん自身の名前にあります。
高山さんは、名前「辰則」の一文字である**「辰」を、十二支で対応する「龍」**に置き換えました。
そして「龍」の後に「雲」の一字を続けて、
「龍雲」
としました。
そこに込められているのは、
「龍が雲に向かって舞い上がるように、昇り続ける」
という思いです。
職人として技術を磨き、一つの場所にとどまることなく、さらに上へ、さらに高みへ。
「龍雲」という二文字には、高山さんのそんな姿勢が込められています。

「辰」が「龍」になる
ここで興味深いのが、「辰」と「龍」の関係です。
十二支では「子・丑・寅・卯・辰……」と「辰」という字を使いますが、その「辰」にあたる動物が龍です。
つまり、
辰 → 龍
というつながりがあります。
高山さんの「辰則」という名前から「龍」が生まれ、そこに「雲」が加わって「龍雲」になったのです。
そして、この「龍」という文字は、中国ではさらに特別な意味を持っています。
中国人にとって「龍」は特別な存在
中国文化における「龍(龙)」は、非常に縁起のよい存在です。
西洋のドラゴンのような恐ろしい怪物というイメージとは異なり、中国の龍には、力、成功、飛躍、幸運、権威、生命力などの意味が重ねられてきました。
中国には、
「望子成龙(望子成龍)」
という言葉もあります。
「自分の子どもが龍のように立派な人物になってほしい」という親の願いを表す言葉です。
それほど「龍」は、大きく成長すること、成功すること、高いところへ昇っていくことを象徴する存在なのです。
そう考えると、高山さんが「龍雲」に込めた、
「龍が雲に向かって舞い上がるように昇り続ける」
という思いは、中国の人たちにも非常に伝わりやすいものではないでしょうか。
一丁のそろばんに刻まれた二文字
そろばんを手にしたとき、私たちは玉の材質や動き、枠の美しさなどに目を向けます。
しかし、そこに刻まれた小さな文字にも、ぜひ注目してみてください。
「龍雲」。
わずか二文字ですが、その背景を知ると見え方が変わってきます。
そこには、名前の「辰」から生まれた「龍」があり、その龍が雲へ向かって舞い上がり、さらに高みを目指していく姿があります。
そして、それは高山辰則さん自身の、そろばん職人としての生き方にも重なります。
雅号とは、単なる名前ではない。
職人がどのような思いで仕事と向き合い、何を目指してきたのか。
その思いを作品に残す、もう一つの「署名」なのかもしれません。
一丁のそろばんに刻まれた「龍雲」という二文字。
その小さな刻字の中には、職人の名前と志、そして「これからも昇り続ける」という願いが込められているのです。

高山 辰則(たかやま たつのり)
播州そろばん 組立職人
1974年生まれ。兵庫県小野市在住。
2001年からIT業界でプログラマーとして勤務し、2014年、40歳を機にものづくりの世界へ転身。播州そろばんの伝統工芸士・宮本一廣氏に師事し、そろばん組立職人として修業を始める。
播州そろばんの伝統的な技術を受け継ぎながら、素材や造形にも新しい感覚を取り入れ、現代の暮らしの中でそろばんの魅力を伝える作品づくりに取り組んでいる。
2020年度「全国伝統的工芸品公募展」では、竹の素材感を生かしたそろばん「KAGUYA」が入選。2024年度には「HAsHi」が同公募展に入選するなど、伝統を大切にしながら新しいそろばんの可能性を追求している。
また、製作だけでなく、各地での実演や製作体験などを通じ、播州そろばんの技術と文化を次世代へ伝える活動にも力を注いでいる。

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